写真=高山教会の路傍伝道

1、未伝地伝道をめざす宣教師たち(1891年~)

写真=フレデリック・フランソン

日本同盟基督教団の歴史は、スカンヂナビアン・アライアンス・ミッション(SAM)の15人の宣教師が横浜に上陸した1891年11月22日に始まります。男性6人、女性9人は、伝道のために献身し訓練を受けた信徒たちで、按手を受けていたのは2人だけでした。ミッション創立者のフレデリック・フランソンは、スウェーデンに生まれ、アメリカでドワイト・ムーディーの推挙で伝道者となり、ジョージ・ミュラー、ハドソン・テーラーの影響を受けた世界的伝道者です。切迫する再臨ゆえの急務の伝道をフェイス・ミッションで開始、中国に35人を派遣、その次が日本でした。日本では宣教再開から約30年、欧化政策の時代が過ぎ、キリスト教と国体との衝突が叫ばれていました。

 

上=最初の15人の宣教師たち。下=ベルグストロムと真嶋慶三郎


来日後3か月、19歳のメリー・エングストロムが天然痘で召天、14人は築地居留地から東京、鎌倉、房総半島、濃尾地震の被災地、飛騨の高山・古川、伊豆・伊豆諸島などに伝道します。房総伝道は苦戦の末、千葉に拠点ができました。アイヌの人々にも伝道を試みましたが継続されませんでした。スウェーデン語のミッション機関紙『シカゴ・ブラデッド』他の資料をまとめた『スカンヂナビア人宣教師の日本伝道事始め』(いのちのことば社)には、迫害や経済的必要、霊的戦いの祈りの日々を見ることができ、東京下町や房総の伝道、宣教医ホイットニーとの関係などがわかります。

宣教師たちの目標は救霊でしたが、幕張に最初の会堂が建てられ日本同盟基督教会と称し、1904年に在日本同盟基督協会宣教師社団(小梅町に本部)が設立されます。フランソンは3回来日(1894、95、1903年)しました。千葉のA・J・ピーターソンは内村鑑三に称賛され、H・リンドストロムはアライアンスに移籍、K・E・アウレルは米国聖書協会の働きに転じて日本宣教に貢献します。後続の宣教師には、べルグストロム(1893年)、ヨエル・アンダーソン(1900年)、C・E・カールソン(13年)がいます。

 

2、日本同盟基督協会の時代 (1922~1941年)

SAMは宣教団体ですが、伝道に伴い、高山、千葉、古川、中野、伊東に教会がおかれ、1922年に日本同盟基督協会の年会が設立されます。年会議長は杉本光平、書記は眞嶋慶三郎でした。

日本人教職者と教会の成長もさることながら、SAMの財政難に伴い自立が求められたのです。当時の信仰の特徴は、千年王国前再臨説、浸礼、きよめ、神癒などで、年会議長は伝道区を巡回して地域教会の事務を管理する権能をもっていました。しかし、実際には各個教会の主体性が尊重されており、教師たちは救世軍、ホーリネス、フリーメソジストなどきよめ派の神学校で訓練を受けていました。

スカンヂナビア人宣教師にとって飛騨の気候風土は東京近郊より好ましく、その飛騨から多くの後継者が生み出されました。教師の不足を信徒伝道者の勧士が補ったことも特筆されます。1936年の年会でリーベンゼラ・ミッションが合同し、神岡、熱海、大島元村、新島などに、登戸と菊名の教会が加わりました。37年の統計では17教会、18講義所、教職13人、信徒696人、宣教師6人となっています。

キリスト教と国体衝突の時代に

写真=戦火で焼けた中野教会の松田政一牧師(左)

3、日本基督教団の時代(1941~1948年)

1941年には日本聖化基督教団(自由メソジスト、ナザレン、世界宣教団、同盟基督)として日本基督教団に合同し、第8部となりました。米国の宣教師は帰国し、教団は戦争協力に邁進(まいしん)しつつ伝道を続けます。生越實造は東亜伝道会の派遣で上海に渡り、敗戦まで奉仕しました。

教団は国民儀礼として神社参拝を受け入れ、礼拝前に皇居遥拝(ようはい)、皇軍将兵戦勝祈祷、君が代斉唱を行いました。高山教会に残された戦時下の週報にもその記載を見ることができます。中野、大井、八王子、千葉の各教会は空襲で焼失します。牧師も信徒も徴兵・徴用、疎開で離散しますが、中野教会の信徒の疎開地の館山、勝鹿には教会が生れました。 飛騨の一信徒は、「顧みて戦争中軍部の命に服し伊勢神宮や天皇(皇居)よう拝等隣保班員にも命じ自分もこれを行えり、基督教徒として恥ずべき事也。我が主是を赦し給ん事を」と記しました。神への愛と、隣人への愛を厳しく問われる戦争体験でした。

 

写真=日本同盟基督教団第1回総会(1948年)

4、日本同盟基督教団(1948年〜)

1946年5月、旧同盟協会の教職8人と残留していたリーベンゼラのラングが会合し、10月にはC・E・カールソンが、翌年にはテモテ・ピーチが再来日し、新たに宣教師も続々と来日しました。ピーチは戦中の教会合同と偶像礼拝を厳しく批判、日本人教職者は教団残留か離脱かの二者選択を迫られます。その結果、48年10月に日本同盟基督教団が設立され、中野・等々力・大井・八王子・登戸・高山・古川・船津(神岡)教会と新設の教会がこれに加わりました。この年の教会数は17、教師22人、信徒千490人です。千葉と伊豆・伊豆諸島の教会(西千葉・伊東・菊名・大島元村・大島波浮・新島・熱海)が日本基督教団に留まったことで、中野と飛騨が戦後の同盟の特徴となりました。ちなみに、旧同盟協会関係者の交流は現在もマケドニア会として継続されています。

49年、すでにスカンヂナビア人の枠を超えて拡大していたSAMはThe Evangelical Alliance Mission(TEAM)と改称し、47~52年の6年間だけでも宣教師181人が来日します。日本同盟基督教団はTEAMと共に宗教法人「ゼ・エバンゼリカル・アライアンス・ミッション(日本同盟基督教団)」を設立しました。東京・神奈川・埼玉を中心に、千葉・茨城、日本語学校があった軽井沢から長野に教会が生まれ、スウェーデン・アライアンス・ミッションは50年から東海地方で、スイス・アライアンス・ミッションは54年から佐渡(のちに千葉)で伝道を進めました。

写真=宣教90周年記念大会(1981年、天城山荘)

5、教勢の成長と計画伝道の時代(1967〜1991年)

戦後の日本同盟基督教団において、教会数と信徒数が急速に伸び始めるのは1960年代の半ばです。宣教師による開拓教会が自立し、戦後をリードした松田政一から安藤仲市に教団議長が交替、旧同盟の伝統はTEAM宣教師と戦後世代の日本人教職に引き継がれます。そこで大切にされたのがフランソンスピリットでした。64年に国外宣教部が設けられ、67年に宣教5か年計画と地域教会の宣教協力のためのブロック制が決議されます。関東地区(東京・常磐・北関東・神奈川)、東海地区(東海・岐阜・関西)、北陸地区(新潟・長野・北陸)、沖縄地区(沖縄)です。
教団事務所は中野から豪徳寺に移転(98 年~幡ヶ谷)、69年には新潟の7教会が加入、75年に最初の宣教師を派遣し、77年には教団の国内開拓伝道が高崎で開始され、小倉、東広島、京都、千葉印西、高松と続きました。松原湖・浜名湖のバイブルキャンプと東京キリスト教短期大学が後継者育成に貢献し、90年には東京基督教大学が開設されました。76年からの理事長は岡村又男、若狭正一、斎藤篤美、3次までの5か年計画と10か年計画が91年まで継続され、教会数は56から164に、現住陪餐会員は2千282人から6千789人増加しました。

 

6、機構改革と教憲教規改訂(1991年〜現在)

その後、宣教協力の推進と共に、教団の歴史的責任の認識と将来に向けての機構改革がなされます。1993年に「明日の教団を考える会」(在職20年以上の教職者研修会)が開催され、教団の三本柱「聖書信仰、宣教協力、合議制」が強調されるようになります。96年の宣教105周年記念大会「横浜宣言」をふまえ、2007年には教憲前文に「過去の戦争協力と偶像礼拝の罪を悔い改め」と表明しました。

06年から宣教区制を導入し、13年に教憲教規・信仰告白を改訂、宣教区代議員による代議制教団総会に移行しています。「日本とアジアと世界」に仕える教団として、これまでに40組の宣教師を派遣してきました。開拓伝道は札幌、福岡、仙台、愛媛、盛岡、宮崎、山形、熊本、鹿児島、三重・徳島(宣教区開拓)でなされます。福岡から全県設置を掲げ、残すは佐賀、和歌山、島根、秋田です。韓国人教師の加入は1990年以来50人を数えます。東日本大震災の被災地支援から、2019年には大船渡市にグレイスハウス教会を設立しました。この間の理事長は岡村又男、吉持章、赤江弘之、下川友也、中谷美津雄、安藤能成、廣瀨薫、朝岡勝です。現在16宣教区255教会・伝道所となりました。2021年9月23日に宣教130周年記念大会を開催し記念宣言を行います。(文責・山口陽一

略年表

1891年 スカンヂナビアン・アライアンス・ミッション(SAM)の15人の宣教師来日
1922年 日本同盟基督協会の年会設立
1941年 日本基督教団に合同(第8部、日本聖化基督教団)
1948年 日本基督教団から8教会が離脱して日本同盟基督教団を設立
1949年 SAMがTEAM(The Evangelical Alliance Mission)に名称を変更
1950年 同盟聖書学院設立(→JCC→TCC、現東京基督教大学)
1967年 第一次宣教5ヵ年計画(第三次まで、第四次は10ヵ年計画~1991年)
1996年 宣教105周年記念大会「横浜宣言」
2004年 宣教区制試行決議・宣教区代表者会議発足準備会
2013年 教憲教規・信仰告白改訂、宣教区代議員による代議員教団総会に移行

 

日本同盟基督教団

教団事務所=〒151-0072東京都渋谷区幡ヶ谷1-23-14
電 話=03・3465・2194
FAX=03・5465・5465
Eメール=office@domei.info
ホームページ=https://domei.site/wp/ 

2021年9月12日号掲載記事